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東京地方裁判所 平成7年(ワ)307号 判決

原告 菊田幸一 ほか一名

被告 国

代理人 中垣内健治 飯山義雄 ほか六名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告らに対し、各五〇万円及びこれに対する平成七年二月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告らが名古屋拘置所に収容中の死刑確定者木村修治との面会を申し込んだのに対し、名古屋拘置所長がこれを不許可とし、また、右木村が原告らとの面会を許可するように申し出たのに対し、名古屋拘置所長がこれを認めなかったのは、いずれも違法であり、これにより原告らが精神的損害を被ったと主張して、原告らが被告に対し、国家賠償法一条に基づき、その賠償を求めている事案である。

一  前提事実(各項末尾掲記の証拠等により認められる。)

1  木村修治(以下「木村」という。)は、身代金目的拐取、拐取者身代金要求、殺人及び死体遺棄の各罪で起訴され、昭和五六年三月一三日、名古屋拘置所に移監となって、昭和五七年三月二三日、名古屋地方裁判所において死刑判決を、昭和五八年一月二六日、名古屋高等裁判所において控訴棄却判決を、昭和六二年七月九日、最高裁判所において上告棄却判決をそれぞれ言い渡され、同年八月六日に死刑判決が確定してから平成七年一二月二一日に死刑の執行がされるまで、名古屋拘置所に死刑確定者として拘禁されていた。

(〈証拠略〉)

2  原告菊田幸一(以下「原告菊田」という。)は、明治大学法学部教授の職にあり、死刑執行停止連絡会議の代表世話人をつとめ、死刑廃止に関する著作も執筆している者である。

(〈証拠略〉)

3  原告深田卓(以下「原告深田」という。)は、株式会社インパクト出版会の代表取締役及び編集発行人をつとめ、隔月刊雑誌「インパクション」を発行する者であるが、死刑関連の図書の刊行も行ってきた。

(〈証拠略〉)

4  木村は、昭和六一年ころから平成元年ころまで、自分が犯した罪の分析等を内容とする手記(以下「本件手記」という。)を執筆したが、同年四月に開かれた「木村修治さん救援会議」(以下「救援会」という。)において、本件手記の出版が話し合われ、同年九月、原告深田が右出版を引き受けた。

(〈証拠略〉)

5  平成六年七月ころ、本件手記出版についての編集会議において、出版物に学問的な客観性を持たせるために、死刑廃止運動の有力な存在である原告菊田に死刑問題についての論文をあとがきとして執筆してもらうことが決定され、原告深田は、原告菊田に対し、右あとがきの執筆を依頼した。

原告菊田は、本件手記を読み、あとがきの執筆により、本件書籍を死刑廃止運動の一つの原点にしたいと考えたが、木村の殺意についての分析が甘いとの感想を持ち、殺害時の心境についてより克明な記憶の表現が、迫力をもって死刑廃止を訴える上で不可欠との思いを木村に直接伝えて、木村に加筆してもらいたいと考え、木村と面会できることを条件として、本件手記のあとがきの執筆を承諾した。

(〈証拠略〉)

6  原告深田から木村あての信書(以下「本件信書」という。)が、平成六年八月一〇日、名古屋拘置所に郵送された。

(〈証拠略〉)

本件信書は、以前から約束していた出版物が、同年六月に校正刷りもできあがり、秋に刊行できそうであること、あとがきを原告菊田に引き受けてもらったが、木村の事件について詳しく知っているわけではないので、一度直接会って話し合わなければ、あとがきはうまく書けないと思うこと、原告深田も校正を見て気になる点が多数あり、質問したく思っていること、出版の条件、印税、支払期日など出版契約について直接話し合う必要があること、そのため、原告両名が同年八月一二日午後に面会に行くことを内容とするものであったが、名古屋拘置所長は、木村に対する本件信書の交付を許可しなかった。

(〈証拠略〉)

7  原告らは、平成六年八月一二日、名古屋拘置所を訪れ、面会申込票に木村との続柄をいずれも「知人」と、面会の用件を「仕事上」と記載して、木村との面会(以下「本件面会」という。)を申し出たが、名古屋拘置所長は、これを許可しなかった(以下「本件面会拒否処分」という。)。

(〈証拠略〉)

8  その後、木村は、本件面会が不許可になったことを知り、平成六年九月二〇日、名古屋拘置所備え付けの「願せん」に、「現在、救援会によって私の手記を出版する作業が進められているのですが、その実現の為には不可欠であるところの私との交通権に関して、御願いしたき点があり面接を希望しますので御願い致します。」と記載して、名古屋拘置所首席矯正処遇官(処遇担当)織田光男(以下「織田首席」という。)との面接を願い出たので、織田首席は、同年一〇月四日、木村と面接を実施した(以下「本件面接」という。)。

(〈証拠略〉)

なお、このとき、名古屋拘置所長が、木村に対し、織田首席をして、原告らとの面会を拒否する旨を告げたものであるのか、織田首席が、木村に対し、名古屋拘置所における死刑確定者に対する面会取扱い基準を説明したにすぎないのかについては、後記のとおり当事者間に争いがある。

二  死刑確定者の面会についての法令、通達の定め等

1  死刑が確定した者は、その執行に至るまで監獄に拘置されるが(刑法一一条二項)、監獄法は、死刑確定者の接見について特に独立の規定を置かず、同法九条において、「本法中別段ノ規定アルモノヲ除ク外刑事被告人ニ適用ス可キ規定ハ」「死刑ノ言渡ヲ受ケタル者ニ之ヲ準用」すると規定するにとどまり、同法四五条一項において、「在監者ニ接見センコトヲ請フ者アルトキハ之ヲ許ス」と規定する。

2  昭和三八年三月一五日付け法務省矯正甲第九六号矯正局長依命通達「死刑確定者の接見及び信書の発受について」(以下「矯正局長通達」という。)は、死刑確定者の接見及び信書の発受は、刑事訴訟法上当事者たる地位を有する刑事被告人のそれとは全くその性格を異にするとして、死刑確定者は、死刑判決の確定力の効果としてその執行を確保するために拘置され、一般社会とは厳に隔離されるべきものであり、拘置所等における身柄の確保及び社会不安の防止等の見地からする外部交通の制約は、その当然に受忍すべき義務であるとし、さらに、拘置中、死刑確定者が罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮されるべきことは刑政上当然の要請であるから、心情の安定を害するおそれのある外部交通も制約されなければならないとして、具体的には、

(一) 本人の身柄の確保を阻害し又は社会一般に不安の念を抱かせるおそれのある場合

(二) 本人の心情の安定を害するおそれのある場合

(三) その他施設の管理運営上支障を生ずる場合

には、概ね許可を与えないことが相当であるとしている。

(〈証拠略〉)

3  名古屋拘置所では、平成六年八月及び同年一〇月当時、死刑確定者の外部交通に関し、次の一般的取扱基準を定めていた(以下「一般的取扱基準」という。)。

「原則として、

(一) 本人の親族

(二) 本人の再審請求に関係している弁護士

(三) 本人の心情安定に資すると認められる者

についてのみ許可することとし、ただ、

(四) それ以外の相手方である場合にも、裁判所、権限を有する官公署等あての権利救済を目的とする文書あるいは訴訟の準備のための文書を発信するなど、その外部交通の目的に照らして、本人の権利保護のために必要かつやむを得ないと認められる場合についてはこれを許可する。」

(〈証拠略〉)

三  当事者双方の主張

(原告らの主張)

1 一般的取扱基準が違憲、違法で無効であること

(一) 原告らの被拘禁者に対する面会権は、被拘禁者に対する面会制限の結果として制限されるにすぎない。そして、監獄法上、未決拘禁者として取り扱われる死刑確定者について、外部からの面会を制限する規定はないにもかかわらず、矯正局長通達は、これに違反して、死刑確定者の人権制約を定めており、憲法一三条、二一条に違反するというべきである。

(二) ところで、矯正局長通達でさえも、面会できることが原則であり、面会を制限する場合が例外であるとした上で、面会を制限できる場合を制限列挙しているにすぎないところ、監獄法四五条の趣旨と矯正局長通達に基づいて作成されたとされる名古屋拘置所の一般的取扱基準は、上位法、上位通達の定め以上に基本的人権に対する制約を課することは許されないにもかかわらず、所定の者「についてのみ許可する」と、面会させないことを原則として規定している。

この原則と例外の逆転により、死刑確定者の第三者との面会権を現実的にはほとんど閉ざしてしまう結果となるところ、面会権、すなわち第三者とアクセスすることのできる権利は、表現の自由その他の基本的人権の基礎となる権利であり、その否定はほとんどの基本的人権に対する全面的制約となるので、憲法に違反する。

(三) このような一般的取扱基準を合憲と解釈するためには、その運用において、監獄法及び矯正局長通達に従った原則と例外の関係によって判断がされなければならないところ、名古屋拘置所においては、監獄法及び矯正局長通達に反して、面会拒否を原則とする取扱いを行っていたので、右運用がなされる限り、一般的取扱基準の合憲性を認めることはできない。

(四) よって、監獄法及び矯正局長通達を逸脱した一般的取扱基準による死刑確定者に対する面会制限は、法律の委任がない違法な人権制限規定であるから違憲、無効であり、一般的取扱基準に基づいてなされた本件面会拒否処分は、根拠のない違法な人権制限にほかならない。

したがって、原告らの木村との面会を制約する正当な理由がないから、本件面会拒否処分は原告らに対する不法行為となる。

2 本件面会拒否処分が違憲、違法であること

仮に、矯正局長通達及び一般的取扱基準が違憲、無効ではないとしても、本件面会拒否処分には、一般的取扱基準の解釈運用に際して、裁量権を逸脱した違法がある。

すなわち、名古屋拘置所長は、矯正局長通達及び一般的取扱基準を解釈運用するに当たって、死刑確定者の基本的人権に対する不当な制限を行うことは許されないところ、本件面会拒否処分は、次のとおり、憲法一三条、二一条、監獄法九条、四五条一項、市民的及び政治的権利に関する国際規約七条、一七条一項に違反する。

(一) 名古屋拘置所長においては、本件面会の目的が、著者の木村、編集者の原告深田及びあとがき執筆者の原告菊田が書籍出版のためにする打合せであることを知っており、本件面会の拒否によって、右打合せが不可能となり、書籍出版に支障を来すことを了解し、あるいは了解し得たので、面会の許否を判断するに当たっては、施設側の面会させないことの利益と比較衡量されるべきものは、単なる面会権だけではなく、言論、出版の自由という憲法上優越的地位を有する基本的人権であること、その言論、出版は死刑廃止論という純粋に国家政策に関する政治的見解についてのものであったことを了解していた。

(二) したがって、名古屋拘置所長において、本件面会を拒否するのであれば、基本的人権の中でも優越的地位を有する表現の自由を制約するだけの理由があるか否かを慎重に判断すべき義務があったにもかかわらず、次のとおり、一般的取扱基準の要件の有無についての調査義務を尽くしていない。

(1) 「本人の心情安定に資すると認められる者」についての調査

ア 名古屋拘置所長は、原告深田から昭和六二年四月に一回来信があった以外は木村との接触がなかったことから、原告らが「本人の心情安定に資すると認められる者」に該当しないと判断している。

しかし、右来信も原告深田が木村の原稿を「死刑囚からあなたへ」に掲載することを確認するためのものであったから、名古屋拘置所長は、原告深田が木村の著作について木村の意思の確認を行うはずであることを了解できたところ、名古屋拘置所長は、右「死刑囚からあなたへ」の内容を調査しなかったし、また、木村あてのパンフレット類から、原告ら及びインパクションの関係者を確認できたはずであるのにその確認をせず、さらに、木村の接見表を調査すれば、日方ヒロコこと金原ヒロコ(以下「金原」という。)等との面会において原告深田の名前や出版に関する説明がなされたことが判明したにもかかわらず、その調査もしていない。

イ 「本人の心情安定に資すると認められる者」に該当するか否かは、本人に面会希望者との関係、面会内容の相当性、面会希望の有無等を確認しなければ判断できないはずであり、本人が面会を希望しないことが客観的に明らかであるような場合を除き、面会申込みに対する本人の意思確認が不可欠である。

木村は原告らとの面会を希望しており、意思確認がなされれば木村が面会を希望したことは間違いないので、木村の心情安定のためには面会を認めた方がより適当であったにもかかわらず、名古屋拘置所長は、木村の意思確認をしなかったのみならず、本件信書を受信不許可としたことを木村に告知しなかったので、本件面会が木村にとって「心情安定に資する」か否かについて適正な判断を下せるはずがない。

ウ また、名古屋拘置所長は、「本人の心情安定に資すると認められる者」に該当するか否かの判断に当たって、面会希望の基礎となる出版の可能性について、調査すべきであったが、これもしていない。

(2) 「本人の権利保護のために必要かつやむを得ない場合」についての調査

名古屋拘置所長は、本件における「本人の権利」とは、表現の自由(言論出版の自由)であることを、十分に知っていたので、面会許否の判断に当たって、著者の木村、編集者の原告深田、あとがき執筆予定者の原告菊田の打合せの必要性について調査すべきであったのに、右調査をしていない。

木村の著作の内容によっては、第三者に対する名誉毀損その他の問題が生じ、木村の権利が害されるおそれが高いが、名古屋拘置所長はその調査もしていない。

(三) 一般的取扱基準についての判断の誤り

(1) 「本人の心情安定に資すると認められる者」について

「本人の心情安定」についての判断は、一般的取扱基準の趣旨及び心情安定という文言からすると、面会時前後に限られた短期的な判断ではなく、死刑確定囚の死刑執行に至るまでの長期的な視点から判断されなければならない。

本件面会拒否処分によって、次のとおり木村の心情が害されたのに対し、本件面会によって木村の心情が不安定になる具体的危険はない。

ア 木村は、本件面会拒否処分当時、その著作の出版及び原告らとの出版に関する打合せを希望していたから、その希望に沿わない面会拒否処分は木村にとって極めて不満なものであった。

イ 自己の著作が出版されるに当たって、説明もなく、編集者によって大幅な削除や加筆訂正がされると、自尊心や著作への想いが著しく傷つけられることになる。まして、自らの生命を賭し、心血を注いだ本件手記が、編集によって大幅な削除や訂正がされることは、木村にとって極めて大きな衝撃となるであろうことは容易に予測できた。

仮に、大幅な加除訂正がなかったとしても、表現の変更によって木村の意図が大幅に変容してしまうおそれもあるから、原告らからの説明と木村のチェックを認めることが、木村の心情安定のために重要であった。

ウ 木村の著作となれば、事件関係者らへの配慮が不可欠であり、これを欠いた書籍が木村のチェックもなされずに出版されてしまえば、木村の権利は著しく傷つけられることになるので、名古屋拘置所長としてはその調査をすべきであったが、他方、原告らの表現の自由との関連からすれば、名古屋拘置所長が木村に代わって書籍の原稿をチェックすることは許されない。したがって、右の点に関する木村の権利保護のためには、木村自身が原告らと面会して書籍の原稿を確認することが不可欠であり、その確認をせずに関係者に迷惑をかけることになれば、木村は極めて強い悔悟の念を抱くことになる。

エ 原告菊田のあとがきは論文のようなものが予定されていたから、木村の著作が、あとがきにおける主張で木村の意図しない利用をされた場合にも、木村は強い不満を持つことになる。

オ さらに、死刑廃止を主張する木村としては、死刑廃止論者の第一人者である原告菊田やベテラン編集者である原告深田から指示忠告を受けて、より良い著作を著すことができたはずであるのに、その機会を失うという口惜しさも拭い去ることはできなかったはずである。

(2) 「本人の権利保護のために必要かつやむを得ない場合」について

木村の著作の出版について、出版契約を締結し、その内容を確認できなければ、木村の出版に関連する諸権利を確保することは困難である。

しかも、木村は、書籍の出版によって、自身を題材とした「死刑廃止論」という政治的見解を表明しようとしていたので、政治的意見の表現の自由として最も保護されなければならない人権が、面会拒否処分により、侵害されることになるから、名古屋拘置所長は、名古屋拘置所の保安に明白かつ現在の危険がない限り、本件面会を拒否できなかったところ、右事情はない。

そして、取材、著述、編集、印刷、校正、製本、広告等の出版のいずれの過程に対する侵害であっても、政治的意見の表明行為としての出版に対する重大な障害となるところ、木村が著述家としては素人で、原告深田が本件書籍を死刑廃止運動の一環として編集し、出版しようと考えていたことから、両者が、通常書籍を出版する場合以上に、密接な打合せをする必要があり、しかも、本件手記執筆後約五年の経過による変動に対応した書き直し等も必要であり、そのための打合せも必要と考えられていた。

このように、原告深田と木村の面会による打合せが書籍の編集上不可欠であったことは、原告深田が説明しており、その説明を受ける前の段階であっても、名古屋拘置所長において容易に推認できたものである。

また、本件書籍のあとがきは、本件書籍において表明しようとする政治的見解を原告菊田の筆によって明確にし、これを総括して読者に訴えるという重要な意義を有していたので、原告菊田が木村と面会して意図を直接確認し理解した上で、本件書籍の政治的見解を集約することは、原告菊田のみならず、木村や原告深田にとっても必要であった。しかも、原告菊田は死刑廃止運動を推進する明治大学教授として著名であり、書籍の売上も、原告菊田のあとがきの出来不出来によって影響が出るものと予想されたので、本件書籍の編集上、原告菊田と木村の面会も必要不可欠であった。

このように、木村の表現の自由に必要不可欠である原告らとの打合せは、「本人の権利の保護に必要かつやむを得ないと認められる場合」に該当するといわざるを得ないし、そのように解釈できない限り、一般的取扱基準が違憲、無効であると断ぜざるを得ない。

(四) 原告らの権利についての検討の不存在

本件面会拒否処分は、単に木村の権利を侵害するだけではなく、原告らの表現の自由に対する重大な侵害を伴っている。被拘禁者に対する面会制限は、反射的効果として、面会申込みを行った者に対する面会権の制約となる。その制約の正当性は、被拘禁者の権利と施設側の保安等との比較衡量によって決せられるものではあるが、面会申込みを行った者の権利も忘れられてはならない。特に、本件のような原告らの政治的見解の表現の自由にかかわる場合には、面会拒否処分によって侵害される面会申込みを行った者らの権利も十分に考慮されなければならない。名古屋拘置所長は本件面会申込みに対する許否判断に際して、原告らの侵害される表現の自由に対して考慮を払っていない違法がある。

3 本件面接において、名古屋拘置所長は、織田首席をして、木村に対し、原告らとの面会を拒否する旨を告知した。

これは面会拒否処分であり、また、木村の一般的な面接権を否定したのではなく、原告らとの面接を拒否したものであり、原告らの木村に対する面会要求は本件面会拒否処分後も潜在的に継続していたのであるから、木村に対してだけではなく、実質的に原告らをも名宛人としてなされた面会拒否処分である。

仮に、右面会拒否処分が木村に対するものであり、原告らは間接被害者にすぎないとしても、名古屋拘置所職員らは、右面会拒否処分により原告ら及び木村の出版が妨害されることを認識しており、原告らの表現の自由に対する被害との間に相当因果関係がある。

この面会拒否処分についても、前記1、2のとおり違法である。

4 原告らの被侵害利益

原告らは、木村の著作の出版に当たって、編集者として、また、論文に匹敵するあとがきの執筆によって、自らの死刑廃止論という政治的見解を表明すべく行っていた出版準備行為を妨害され、もって、表現の自由を侵害されたものである。

名古屋拘置所長は本件面会が出版準備行為であることを知悉してこれを拒否したのであるから、原告らの表現の自由に対する直接の侵害行為であり、また、面会権の制限の結果、面会の目的である言論、出版に対する権利侵害がなされたものである。

右面会権は、人が自由に他の人と会い、コミュニケートすることのできる権利であり、表現の自由、職業選択の自由その他すべての基本的人権が確保されるために不可欠な権利で、一般的には憲法一三条の幸福追求権に当然に内包される憲法上の基本的人権であるので、その制限の合憲性判断は厳格な基準によらなければならない。

被拘禁者に対する外部からの右面会権を具体化した法律の規定が監獄法四五条一項であり、外部の者を主体として、在監者に対する面会権を具体的に保障している。しかも、同項は「之ヲ許ス」として、面会要求に対する許否処分についての裁量権を施設側に持たせない覊束行為として規定している。これは、同法が面会権を憲法上の重要な権利であることを当然の前提としていることの証左である。

5 損害

(一) 原告深田は、木村と打合せをしなければならなかったにもかかわらず、これができなかった結果、十分な編集作業ができず、当初企画した書籍を完成させることができなかったのみならず、書籍の記述内容について、読者に対する責任はもちろん、著者に対する責任もすべて自らが負担しなければならないという過大な負担を負って、書籍を出版しなければならなかった。死刑廃止論を展開する編集者として、原告深田の受けた精神的苦痛は多大なものがあり、これを慰謝する金額は五〇万円を下らない。

(二) 原告菊田は、あとがき執筆のために木村と面会する必要があったにもかかわらず、これができなかったために、法学者としても死刑廃止運動家としても、本件手記の内容に十分に踏み込んだ執筆ができず、あとがき執筆を断念せざるを得なかった。その結果、原告菊田は、死刑確定者と研究者である同原告自身との共同作業での書籍出版により、死刑廃止論を強く読書に訴えるという独創的な表現行為を行う機会を失い、強い精神的苦痛を被ったものである。これを慰謝する金額は五〇万円を下らない。

(被告の主張)

1 本件面会拒否処分が適法であること

(一) 死刑確定者が、監獄法九条により、刑事被告人に適用すべき規定の準用を受ける場合にあっても、死刑確定者の法的地位と刑事被告人の法的地位に基づくそれぞれの拘禁目的及び性質の差異に応じた修正を施した上で、適切な処遇等がなされるべきことが要求されていると解すべきである。

接見に関し、同法四五条一項は、単に「之ヲ許ス」という文言になっているが、これは出願があれば必ず許すという趣旨ではなく、在監者の種類ごとに、その法的地位に基づく拘禁の目的及び性質を勘案し、その許否を決すべきことを規定した趣旨であり、死刑確定者の外部交通について、死刑確定者の法的地位に基づく拘禁の目的及び性質からする制限は許容されるというべきである。

そして、右制眼は、外部交通を制限する必要性の程度と制限される自由の内容、性質、その制限の程度、態様、その制限によって死刑確定者が受ける不利益等を比較衡量した上で、その必要性を判断すべきところ、その判断は、監獄内の実情や死刑確定者の動静と微妙な精神状態を常時的確に把握し得る立場にある監獄の長の裁量的判断にゆだねられていると解される。

矯正局長通達は、右の法の趣旨を明らかにしたものであり、名古屋拘置所長は、一般的取扱基準を採用して矯正局長通達の趣旨の具体化を図ったものであり、その内容も合理的である。

(二) 一般的取扱基準該当性の判断について

(1) 原告らが木村「本人の心情安定に資する」と認められないこと

死刑確定者の拘禁目的を達成するための「心情安定」の要請は、絶望感にさいなまれて自暴自棄となったり、極度の精神不安定状態を招来し、監獄内の規律秩序の維持に直接影響を及ぼすような行為に出ることを予防し、死刑確定者が罪を自覚し、精神の安静裡に刑の執行を受けることとなるように配慮されるべきことを意味するものであって、死刑確定者が面会を希望する相手とほしいままに外部交通を行うことを意味するものではない。

まして、死刑確定者が自ら希望する相手と面会することが、必ず右「心情安定」に結び付くというものではなく、逆の影響を与えることも少なくない。

木村は、死刑確定者であって、やがて刑の執行を受けることを免れない身分に置かれていたものであり、このような者がささいなことで心情の安定を害し、重大な保安事故を惹起するおそれのあることは、過去において、死刑確定者による自殺や死刑判決を受けた被告人の逃走事故が発生している事実にかんがみ、明らかであって、このような不測の事態に備える必要上、その心情安定に資すると認められる者の判定は、厳格に行われなければならない。

したがって、原告らは、その主張に照らしても、前記死刑確定者の拘禁目的を達成するための「心情安定」の要請に資する者であるとは認められない。

(2) 原告らとの面会が木村「本人の権利保護のために必要かつやむを得ない場合」に該当しないこと

一般的取扱基準のいう「本人の権利保護のために必要かつやむを得ないと認められる場合」とは、主として訴権に配慮すべきことを予定している趣旨であるから、原告らの主張する諸権利はこれに該当しない。

一般的な権利行使上必要な場合であっても、面会させることが相当である場合もあるが、本件手記は、かつて木村が恩赦出願の資料とするために弁護士あてに宅下げされたものにすぎず、木村から名古屋拘置所側に対し、本件手記の出版のために原告らと面会したい旨申し出る等本件手記を出版する意思の表明はなされていなかったことからして、木村に書籍として出版する目的があったとは認められない。原告らの出版に関する意図はともかく、木村自身に出版目的の外部交通の意思が認められない以上、当該出版のための「権利保護」の要求自体存在し得ない。

(三) 原告らは名古屋拘置所長が本件面会拒否処分をするに当たって、適切な調査をしなかった旨主張するが、前記のとおり、一般的取扱基準に照らして、原告らは木村との外部交通を許可すべき相手方には該当しないから、調査義務の懈怠もない。

(四) 以上のとおり、本件面会拒否処分は、合理的な一般的取扱基準に沿ってなされた適正な手続によるものであり、本件面会申込みの用件からして、名古屋拘置所における右取扱いを超えてまで面会を許可する必要性は認められないとしてなされたものであるから、名古屋拘置所長の裁量権の行使としてなされた適法なものである。

2 被侵害利益の不存在

(一) 原告らの表現の自由が侵害されていないこと

(1) 原告菊田について

原告菊田のあとがき執筆の目的は、本件書籍において表明しようとする政治的見解(死刑制度廃止論)を明確に総括することにあったのであるから、そのためには本件手記を読むだけで足り、それ以上に木村と面会しなければあとがきを執筆できないとする客観的事情はないので、原告菊田と木村との面会を不許可としたことをもって、原告菊田の表現の自由を制限したことにはならない。

原告菊田は、木村と面会できた場合にあとがきの執筆という表現行為を行おうとしていたものにすぎず、面会を不許可にされた後も依然あとがきの執筆が可能であったにもかかわらず、それをしなかった理由も、原告菊田の個人的な利害得失の判断によるものにすぎない。

結局、本件においては、表現者の表現行為自体が制限されたのではなく、表現行為の動機を形成するための基礎資料の一部が収集できなかった場合にすぎないところ、一般論として、刊行する書籍のあとがきを執筆することも憲法二一条の表現の自由として保障されており、そのための取材行為についても同条の規定に照らして尊重されるとしても、取材行為であればいかなる場所、方法であっても許されると解すべき理由はなく、本来一般人が自由に立ち入ることを許されていない施設である拘置所に拘禁されている死刑確定者に直接面会して取材を行う自由までが、同条の趣旨に照らして保障されていると解することは困難である。

また、原告菊田が主張するあとがき執筆のために在監中の死刑確定者である木村との面会を求める「権利」とは、単に木村との面会を国(拘置所長)から妨げられない自由という側面よりも、むしろ、国(拘置所長)に対し、拘置所内への立ち入りを求めるとともに、面会室等の施設を提供させ、施設職員をして木村を面会室に出頭させ、一定の時間死刑確定者である木村と面会させる等の作為を求める請求権的権利にほかならないが、同条は右「権利」の内容を具体的に定める趣旨であるとは解し得ないし、監獄法その他右「権利」を具体化した法律は存在しない。

(2) 原告深田について

本件書籍出版の目的は、原告らの死刑制度廃止論という政治的、政策的意見の表明にあったので、そのためには、原告深田において、右目的に沿った形で本件手記の原文に対し編集を行って出版すれば足り、それ以上に木村と面会しなければ本件書籍の編集、出版が行えない事情はないので、原告深田と木村との面会を不許可にしたことをもって、原告深田の表現の自由を制限したことにならない。

一般論として、刊行する書籍の編集は憲法二一条の表現の自由として保障され、右編集に際して、その作者と面接することも、右編集行為の一環として、同条の規定に照らして尊重される余地がないとはいえないという立場に立つとしても、そこから直ちに、右作者が死刑確定者で、本来一般人が自由に立ち入ることを許されていない施設である拘置所に拘禁されている場合にまで、編集者が在監中の同人に対し直接面会して編集を行う自由といったものまでが、同条の趣旨に照らして保障されていると解することが困難であること、原告深田が主張する本件書籍の編集のために在監中の死刑確定者である木村との面会を求める「権利」を、同条が具体的に定める趣旨であると解し得ないこと、また、監獄法その他の法律も、右「権利」を具体化するものではないことは、原告菊田についてと同様である。

(二) 原告らの主張する面会権が認められないこと

(1) 拘置施設を設けることが制度上予定されている憲法下において、外部者である原告らが、在監者と面会する権利、あるいは国(拘置所長)に対し、拘置所に立ち入りを認めた上で、面会室等の一定の施設を提供させ、さらに収容されている死刑確定者と面会させることを請求する権利が憲法上保障されているとはいえない。

(2) また、監獄法は、監獄の適切な管理運営を図り、在監者それぞれの法的身分に応じた適切な処遇を行うことを目的として制定されたものであり、個々の条項も専ら右目的を実現するために、在監者とこれを拘禁する人的、物的施設の複合体としての監獄との間の法的関係を規律しているものであって、在監者と外部の者とが接触を持つ場面である外部交通に関しても、同法第九章の各条項は、専ら在監者についての拘禁目的の達成及び適切な処遇の観点からこれを許可するか否かを規定しているものであることはその文言上からも明らかである。

そして、同法四五条一項も、外部の者の立場を接見を「請フ者」としているにすぎないので、この文言からしても、同条項が外部の者に対して被拘禁者と接見する権利を認めた規定であると解することは困難である。

3 損害の不存在

本件手記の編集作業の基本は不要な部分の削除にすぎないので、原告深田は、木村と連絡を取ることなく、本件面会拒否処分の前から本件手記の削除、訂正、変更に着手し、面会においても本件手記の原稿を持参することなく、本件書籍のゲラ刷りを持参しているにすぎず、実際にも本件書籍は出版され、木村もその内客に対して特段の異議を述べていないことからして、本件面会拒否処分によって、原告深田に損害が生じたとは認められない。

原告菊田は、木村と面会できた場合にあとがきを執筆しようという意思を有していたにとどまり、結果的にも座談会での発言を本件書籍に掲載する形で、自己の考えを表明していることからしても、原告菊田に損害が生じたとは認められない。

4 原告深田の損害との因果関係の不存在

木村との接見が可能であった金原は、執筆活動を行っていた経歴を有していた上、木村と外部とのパイプ役をしようとして昭和六二年に木村の母と養子縁組をしたのであるから、金原が木村との面会において、本件手記の編集に必要な木村との意思疎通を図ることは可能であったのであり、金原は現にそれを行っていたのであるから、原告深田の被ったとする損害と本件面会不許可処分との間には因果関係もない。

5 本件面接において原告らに対する公務員の公権力の行使がなされていないこと

本件面接の際に、織田首席は、木村に対し、名古屋拘置所における死刑確定者に対する面会取扱い基準を説明したところ、木村は了承した旨を述べたが、右説明は、単なる事実行為にすぎず、これによって原告らに損害が発生していないから、木村の願い出を名古屋拘置所長に対する原告らとの接見許可の申請とみることはできないし、これに対する織田首席の説明も、拒否の判断と目するべきものではない。

四  争点

以上によれば、本件の争点は、次の各点である。

1  本件面会拒否処分についての被告の国家賠償法一条に基づく責任の有無について

(一) 本件面会拒否処分が違法であったか否か、具体的には、

(1) 一般的取扱基準は、憲法一三条、二一条に違反する違法なものであるか否か。 (争点1)

(2) 一般的取扱基準自体が憲法に違反しないとしても、本件面会拒否処分が、名古屋拘置所長の職務上の義務に違反してなされた違法なものか否か。 (争点2)

(二) 原告らの被侵害利益又は損害の有無 (争点3)

(三) 本件面会拒否処分と原告深田の損害との因果関係の有無 (争点4)

2  本件面接の際、織田首席は、木村に対し、名古屋拘置所長の処分として原告らとの面会を拒否する旨を告知したのか、それとも、単に名古屋拘置所における死刑確定者に対する面会の取扱い基準を説明したにすぎないのか。 (争点5)

第三当裁判所の判断

一  争点1について

死刑確定者の拘禁は、死刑執行に至るまでの間、死刑確定者を社会から隔離し、かつ、逃亡、自殺等を防止して、死刑の適切な執行を確保することを目的とするものである。そして、死刑確定者が社会復帰の望みがなく、いずれ生命を断たれることを受容しなければならない立場にあることを考慮すれば、死刑確定者の拘置所内の処遇については、社会的不安の除去及び施設管理上の必要性からも、その精神状態の安定の確保に対する特段の配慮が必要というべきである。

右のような死刑確定者の拘禁の趣旨、目的、特質にかんがみれば、監獄法四五条一項に基づく死刑確定者に対する接見の許否は、死刑確定者の心情の安定にも十分配慮して、死刑執行に至るまでの間、社会から厳重に隔離してその身柄を確保するとともに、拘置所内の規律及び秩序が放置することができない程度に害されることがないようにするためにこれを制限することが必要かつ合理的であるかを判断して決定すべきものである。

そして、具体的場合における右判断は、拘置所内の実情に通暁し、死刑確定者の動静等を常時的確に把握し得る立場にある拘置所長の裁量にゆだねられているものと解すべきであり、右裁量権の行使が合理的な範囲内のものである限り、それによる死刑確定者の自由、権利の制限は法の許容するところであり、外部の者も死刑確定者の自由、権利が制限されることの結果として、面会について制限を受けるものであると解するのが相当である。

これに対し、原告らは、監獄法上、死刑確定者は未決拘禁者として取り扱われており、同法四五条一項は、外部からの面会について裁量権を施設側に持たせない覊束行為として規定している旨主張するが、前記のような目的でされる死刑確定者の拘禁と、無罪の推定を受けるべき地位にあり、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的とする未決勾留に伴う制約を受けるほかは原則として一般市民としての自由を保障されている刑事被告人の勾留とは、目的、性格を大きく異にするものであることからすれば、同法九条の準用規定も、死刑確定者と刑事被告人の拘禁の目的及び性格の差異に応じて必要な修正を施した上で刑事被告人に関する規定を準用することを許容しているというべきであって、死刑確定者の処遇について、刑事被告人と全く同一の扱いを要求するものではないと解されるから、右原告らの主張は採用できない。

以上の考え方からすると、矯正局長通達は、右監獄法の趣旨に沿って、死刑確定者の外部交通を制約すべき場合の一応の基準を示したものとして、合理性に欠けるところはなく、名古屋拘置所において矯正局長通達に基づき死刑確定者の外部交通に関し採用している一般的取扱基準も、死刑確定者の拘置所における処遇に通暁した者が、前記死刑確定者の拘禁の趣旨、目的、特質に配慮して採用した内部的基準として合理性を有するものということができる。

したがって、名古屋拘置所長が一般的取扱基準に則って面会の許否を決することのみをもって、憲法一三条又は二一条に違反するとの原告らの主張は採用できない。

二  争点2について

1  各項末尾掲記の証拠〈略〉によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告深田は、昭和六一年五月、「インパクション」四一号に「死刑囚は訴える」という特集を編集し、死刑囚の団体「日本死刑囚会議=麦の会」の会員一三名の文章を掲載したが、その中に木村が執筆した「『差別』について思うこと」という文章を収録したことがあった。

また、原告深田は、昭和六二年一〇月刊行の単行本「死刑囚からあなたへ」に、「強く、優しく生き抜いて下さい―息子たちへ初めて書いた最後の手紙」という文章を収録し、平成二年一二月刊行の単行本「死刑囚からあなたへ〈2〉」に、本件手記の抜粋を「ほんとうの自分を生きたい!」との表題で掲載したことがあった。

(〈証拠略〉)

(二) 原告深田が木村あてに信書を送付したのは、同人が未決拘禁者として名古屋拘置所に収容されていた昭和六二年七月九日の一度だけであり、前記単行本「死刑囚からあなたへ」に掲載する木村の文章の表題と内容の確認をその内容とするものであった。

(〈証拠略〉)

(三) 本件手記の出版を引き受けた原告深田は、編集者として木村との信頼関係を築き、出版契約の締結、書籍のタイトルの決定、削除訂正等の確認等に関して話し合うため、原告菊田はあとがき執筆の条件として木村と会うことを求めていたため、原告両名は名古屋拘置所に木村に面会に赴くこととし、これに先立ち、原告深田は木村あてに、前記のとおり出版についての話し合いのために面会に行く旨を内容とする本件信書を郵送した。

(〈証拠略〉)

(四) 本件信書は、平成六年八月一〇日、名古屋拘置所に郵送されたために、名古屋拘置所側においては、原告らが木村に面会に来ることを知って、木村の接見記録を調査したものの、原告深田について前記(二)の七年前の来信一回の記録があっただけで、他に原告らと木村との間に特別の関係があることをうかがわせる記録はなく、また、名古屋拘置所長において、この時までに、本件手記の出版が予定されていることを把握していなかったので、名古屋拘置所長は、本件信書に記載された内容からしても、本人の権利保護のために必要かつやむを得ない事情は認められないとして、一般的取扱基準に沿って、木村に本件信書を交付することを不許可とし、これを告知することが木村の心情の安定を害するとの判断から、木村にその旨を告知しなかった。

そして、織田首席は、原告らの面会の申出については名古屋拘置所長において不許可にする方針であることを事前に原告深田に連絡するため、電話をしたところ、原告深田が既に出発していたために連絡が取れなかった。

(〈証拠略〉)

(五) 原告らは、平成六年八月一二日、本件手記を出版するために校正したものを持参して名古屋拘置所を訪れ、木村との面会を申し出たところ、名古屋拘置所長は、織田首席に対し、本件信書に記載されていた出版のための打合せを目的とする面会であれば、死刑確定者である木村との外部交通を許可すべき相手方とは認めないとして不許可とするが、本件信書に記載された以外の用件の有無を事情聴取するよう指示した。

そして、織田首席及び庶務課長佐藤正人が原告らに応接したが、原告らからは、本件面会の用件について本件信書に記載された以外の用件の話はなかったため、織田首席は、前記名古屋拘置所長の指示に従って、原告らに対し、本件面会拒否処分を告げた。

(〈証拠略〉)

(六) なお、木村は、本件面会拒否処分の時までに、名古屋拘置所側に対し、本件手記の出版についての意向を積極的に表明したことはなく、出版のために原告らと面会したい旨申し出たのは、その後の平成六年九月二〇日が最初であった。

(〈証拠略〉)

(七) また、木村は、本件面会拒否処分の時までに、原告菊田が、本件手記の出版物にあとがきを執筆することになっていることを知らなかった。

(〈証拠略〉)

2  (一) そこで、検討するに、まず、一般的取扱基準は、原則として、外部交通を許可する者を、本人の親族及び本人の再審請求に関係している弁護士のほかには、「本人の心情安定に資すると認められる者」と定めているが、これは前記死刑確定者の拘禁の趣旨、目的、特質、特に心情の安定を害した死刑確定者の自殺、逃走等の不測の事態を防止するため、死刑確定者の心情安定を確保すべきであることから設けられた基準であり、右の不測の事態の防止の観点から、「本人の心情安定に資すると認められる者」に該当するか否かの判断が慎重になされることも、拘置所長にゆだねられた合理的な裁量権の行使として首肯できるものということができる。

そして、名古屋拘置所側における調査の結果、原告深田については七年前の来信一回の記録があっただけであり、原告菊田については木村との間に特別の関係があることをうかがわせる記録はなかったこと、木村が、本件面会拒否処分の時までに、名古屋拘置所側に対し、本件手記の出版についての意向を積極的に表明したことはなく、そのために原告らとの面会を申し出ることもなかったことはいずれも前記認定のとおりであり、名古屋拘置所長が本件面会の許否を判断するに当たって、原告らとの面会が木村の精神的状態の安定に結び付くと判断できる資料は名古屋拘置所側に存在しなかったものである。

ところで、証人金原ヒロコは、金原は、平成二年九月二七日の木村との面会において、原告深田が本件手記を出版することを木村に話して、その了解を得た旨証言し、金原作成の陳述書(〈証拠略〉)及び木村作成の書簡(〈証拠略〉)にもこれに沿う記載があるが、仮に、右面会の際にそのような会話があったとしても、前記認定事実に照らせば、右面会に立ち会った拘置所職員が、名古屋拘置所長において木村の心情の安定について判断するに十分な程度にまで、手記の出版事業の全貌及びこれに対する木村の意向を把握していたとまでは認めるに足りない。

したがって、名古屋拘置所長において、前記のような調査を行った上で、原告らが右「本人の心情安定に資すると認められる者」に該当しないと判断したのであるから、名古屋拘置所長の右判断には、裁量の逸脱又は濫用の違法はないというべきである。

なお、原告らは、名古屋拘置所長が本件面会拒否処分をするに当たって、適切な調査を怠った違法があると主張するが、原告らの主張する調査のうち、死刑確定者本人に対する面会の意思確認については、その心情の安定に配慮すべき見地からすると、好ましいものとはいえないし、その他、原告らの主張に係る書籍、パンフレット類の内容の調査、接見表の子細な調査等についても、名古屋拘置所長において積極的にこれらの調査を尽くすべき職務上の義務があるとまでは認めることができない。

(二) 次に、一般的取扱基準は、「外部交通の目的に照らして、本人の権利保護のために必要かつやむを得ないと認められる場合」についても、外部交通を許可すると定めているところであり、また、死刑確定者も表現の自由を享有するけれども、表現物を出版する過程における活動については、その地位の特殊性から制約が生じることはやむを得ないところである。

そして、死刑確定者の執筆に係る手記を出版しようとしている編集者やその出版物にあとがきを執筆しようとする者と打ち合わせるために直接面会することが、およそ死刑確定者の権利を保護するために必要かつやむを得ない事柄であると認めることができない。

のみならず、前記のとおり、名古屋拘置所長において、本件手記の出版に対して木村が積極的意向を有していたとは把握していなかったのであるから、名古屋拘置所長が、本件面会が「外部交通の目的に照らして、本人の権利保護のために必要かつやむを得ないと認められる場合」に該当しないと判断したことに、裁量の逸脱又は濫用の違法はないというべきである。

なお、原告らは、この点についても、名古屋拘置所長は、本件手記の出版のための打合せの必要性や著作内容についての調査を尽くすべきであったと主張するが、名古屋拘置所長において積極的にこれらの調査を尽くすべき職務上の義務があるとまでは認めることができない。

3  したがって、本件面会拒否処分が、名古屋拘置所長の職務上の義務に違反してなされた違法なものであるとは認められない。

三  争点5について

1  証拠(〈略〉)によれば、次の事実が認められる。

(一) 木村からの平成六年九月二〇日付けの本件面接の願い出に対し、名古屋拘置所長は、織田首席が面接すること、願い出の趣旨は本件面会拒否処分に関するものと推測されるが、木村から具体的に聞かなければ分からないから、とりあえず一般的原則を告知し、その後の対応は必要があれば処遇部会で検討することをそれぞれ指示した。

(二) 右面接は、拘置所の処遇又は一身上の事情等について、該当職員が在監者に直接会って自由な相談助言の機会を与えることにより、適正かつ妥当な処遇に資することを目的として行われるものである。

(三) 織田首席は、同年一〇月四日、右指示に基づき、本件面接を実施したところ、木村から「先般、明治大学教授ほか一名が私の本の出版の関係で面会に来てくれたが不許可とされた。しかし、出版に当たっては、この人達と最終打合せをしなければならないので面会の許可を願いたい。」旨の申し出があったが、織田首席は、「君は現在、死刑確定者処遇であり、未決処遇ではないので外部交通は大幅に制限されている。したがって、出版の打合せという目的での接見を許可することはできない。」と言って、名古屋拘置所における死刑確定者に対する面会取扱い基準を説明した。

(四) 織田首席は、本件面接の結果を名古屋拘置所長に報告したが、名古屋拘置所長から特に指示はなかった。

2  右認定事実によれば、織田首席の右説明は、拘置所職員が在監者に対して行う相談助言の場において、名古屋拘置所における死刑確定者に対する面会の取扱い基準を説明したものにすぎないというべきで、これによって、名古屋拘置所長が、織田首席をして、木村に対し、原告らとの面会を拒否する旨を告知したものということはできない。

したがって、織田首席の右説明によって原告らに損害が生じたものとはいえないから、原告らの本件面接についての国家賠償法一条に基づく請求は失当である。

四  よって、原告らの請求はいずれも理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判官 市村陽典 阪本勝 村松秀樹)

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